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2009-09-27 

「日本の政治をダメにした政治家TOP10」が面白かったので書き起こしておく 

先日、関西の某番組(後述のコメンテーター陣を見れば大体想像がつくはず)で、「日本の政治をダメにした政治家TOP10」と題して、同番組いわく「日本の落日の元凶を作った底抜けのポンスケは誰なのか?」が議論されていた。

同番組らしく過去の政治家を口汚く罵っていて非常に楽しかったので、トップテンの面々を番組コメンテーター陣のコメントと共に書き起こしておきたい。

では早速。


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10位 小泉純一郎 郵政民営化男
「強国に従属し、イラク戦争支援を真っ先に決定した」(原口一博)
「自由経済競争原理主義者」(鴻池祥肇)
  
9位 小沢一郎 破壊王
「田中角栄の悪いところだけを受け継いだ」(花田紀凱)
「現在進行中の禍根」(西村眞悟)

8位 竹中平蔵 ハゲタカの使者
「アメリカのスパイのような男」(筆坂秀世)
「弱肉強食の世の中を作った」(鈴木邦男)

7位 安倍晋三 大腸炎でギブアップ
「アベイストが日本の保守をダメにした」(勝谷誠彦)
「任期中に死んでもやるべきだった」(鈴木邦男)

6位 麻生太郎 自民党最後の首相
「井の中の蛙の勘違いナショナリスト」(田嶋陽子)
「総理の地位を決定的に軽くしたダメ男」(三宅久之)

5位 土井たか子 マドンナ旋風
「北朝鮮の代弁者」(金美齢)
「惨憺たる禍根」(西村眞悟)
「ダメな進歩派の象徴」(宮崎哲弥)
「頭が固い“土井かた子”」(花田紀凱)

4位 森喜朗 ○○の脳みそ
「国家のためではなく、自分のため自分の派閥のためにしか
 動かないタヌキ親父」(鈴木邦男)
「短命政権の恨みで、自民党支配を強めた老害」(筆坂秀世)
「保守を絶滅に追い込んだ背後霊」(勝谷誠)
  
3位 田中角栄 キングオブ利権
「元祖金権政治」(三宅久之/金美齢)
「政党を金で買うような政治を行い、政界から徳を奪った」(屋山太郎)

2位 河野洋平 総理になれなかった総裁
「根拠もないのに慰安婦の強制連行をでっち上げた」(屋山/西村)
「慰安婦問題や遺棄化学兵器の問題で、日本の金が際限なく
 中国に搾り取られた」(田母神俊雄)
「Chinese Lover」(花田紀凱)
慰安所へ行け!」(志方俊之)

1位 村山富市 マユ毛長すぎ
「阪神淡路大震災の被災者を救出せず、自虐史観の“村山談話”を
 発表した無能の禍根」(西村眞悟)
「自社連立で社会党をつぶした」(三宅久之)
「Chinese Friend」(花田紀凱)
「平成のバカ殿」(田母神俊雄)

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以上。村山・河野でワンツーフィニッシュを飾るのは、アジア外交に躓いている今のタイミングとしてはまぁ順当なところでしょうな。

そんなことより西村さんの“禍根”シリーズが秀逸である。日本でも政治家の悪口が大衆娯楽に昇華しつつあると感じる。個人的には、とても良い傾向だと思う。
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2009-09-26 

ついに「プロジェクト10の100乗」(Google)の投票が始まった。……しかし 

私もハッとしてグッとくるアイデアを投稿したのだが、内容が投票カテゴリを横断しているのでどこに投票したらいいのか分からない(というか、個別案のエッジがカテゴライズされることで丸まってる)。ディテールが命だと思うんだけどなー。

→プロジェクト10の100乗(Google)
2009-09-24 

SF作品は普遍性を感じにくい(のかな?) 

##書きながら「“不変”か?」と気づいたけど微妙なのでママ

過去はずっと過去だし現在もいずれ過去になるわけだけど、未来はどんどん迫ってくる。SFの苦手な人はこの現象を無意識に感じているから、SF作品に“普遍性”を感じにくいのではないか? と思った。

実はそれは分からんでもない。事実、SF作品のディテールで時間の経過によって色あせる部分は多少なりともある。今「ガタカ」を見て、個人を識別するための血液検査シーンに違和感を抱くように。

##ファンタジー作品も異世界を描いている点はSFと同じだけど、SFは科学という鎖で現実とリンクしている点で、似て非なる。

ただ作品によってその賞味期限は異なるし、色あせた部分をメタな視点で抑え込んで読むこともできる(SFの好きな人は得意なんじゃないかな)。今読んでも面白いSFの古典は、賞味期限が長いか、あるいは色あせた部分“以外”のエッジが立っているかのどちらかで、そのどちらかが作品に普遍性を与えている。

とはいえ、SFの持つ宿命的な賞味期限は厳然と存在するわけで、だからこそ現在を生きている人はできるだけ早いうちにSFの古典や、今この瞬間に次々と産まれているであろうSF作品を消費しておいた方が幸せかな、と。私が友達に薦めるのも主にそんな理由だったりする。時間の経過で損する部分が増えてから出会うことになんらメリットはないからね。

##とくに映像作品は賞味期限が短いですな。

……と、SF大好きっ子の私が申しております。最近はあまり人には薦めなくなったなー。
2009-09-18 

これだけはお手上げ(分からない)。女の人に「出産欲」ってあるの? 

私は人に「なんで生きてるの?」と問われたら、「失礼なやつだ!」と全力で殴る前に「生に意味があるかどうかは分からないけど、今実際に生きているし、死は選択可能だけど生は選択不可能だし、生理的に死を回避する本能が備わっているらしいしってことを考えると、死に比べて生の方に意味がある可能性が高いからかしら」と答える。つまり根底にある上記の論理こそが私にとっての神であり、これは比較的バルカン人に近い立場と言えるというのはまあ2割方冗談なので聞き流していただくとして。

そこで掲題の件。最近以下の文章を読んだ。

→福島瑞穂:編「産まない選択―子どもを持たない楽しさ」について

主旨としては「産みたい人は産んだらいいし産みたくない人は産まなくていい。ただ産みたくない人を圧迫するような社会はダメ」という感じ。私も同感だし、まぁバランスよくいこうや、という印象である。

ただ一方で、女性の身体には子供を産むためらしき機能が備わっていて、それを利用しないことに対して違和感を抱くのはなんら不自然ではないかな、とも思う。その違和感はかなり漠然としていて「30過ぎまでオナニーしてませんでした」という男に対する思いと同類のものだ。上記はいずれも往々にしてあり得ることだが、少数派であること、生理現象を通過しなかったこと、という2点で直感的に違和感を感じる。「そんなことに違和感感じちゃダメ!」とかいう問題ではなくて、実際にそうなのね。

そこで思ったのだが、女の人に「出産欲」ってあるのだろうか? かわいい子供がほしい、将来的に養ってくれる子供がほしい、というレイヤーではなく、もっともっと生理的な欲求としての出産欲。「あれ? なんか子供が欲しい気がするわ。よく分かんないけど」みたいな。

仮にそうであるなら「産まない選択」っていうのは、欲求を抑制するという意味で、個人の意識を変えただけでは現状を変えられない気もする。問題のレイヤーが違うから。時代や政治は個人がより多くの欲求を開放できるように進んできたんだし、これからも――少なくとも民主主義国家では――進むだろうし。つまり元々はリベラルな発想かもしれんけど、よくよく考えてみたらナンセンス、みたいな。

逆に「出産欲」というものが存在しないとすると、個人が“産まない人”に対して抱く違和感は完全に根拠ゼロの不当なものと言える。社会通念としてざっくりと今すぐドラスティックに切り替える必要があるし、違和感を抱いた人は自分に対して「非論理的乙!乙乙!」と罪悪感を感じまくる必要があるな、と。

いやぁ、こればっかりは男の私には分からないなあ。

実は個人的に、この辺りがはっきりしていないから少子化問題もイマイチうまく考えられない。人間の生理と整合性のとれない社会システムはいつか破綻するんだろうし、少子化問題を生物学として捉えるか社会学として捉えるかで答えが180度変わるんじゃろう、と。普通に考えてどちらもバランスよく考慮するんだろうけど、そのさじ加減って責任重大だよなー、みたいな。

2009-09-14 

民主主義の唯一の効能は 

ただ「変ることができる」という一点に尽きていて、そういう意味で「Change」という言葉は根本的かつ圧倒的に的を射ている。

ただ、裏を返すと民主主義は「ただ変われるだけのフレームワーク」であることも意識する必要があって、そこに“正しさ”という概念は一切存在しない。

つまり民主党でも自民党でも、どちらかがより多くの人間にとって“良き”とされる行動を取るまで政権を獲ったり獲られたりするわけだが、その“右往左往できる”ということ自体がフレームワークの“唯一の”効能。“右往左往できないよりまし”という、その程度のフレームワークであり、あくまでもベターな選択肢に過ぎないということは強く意識しておく必要がある。

にも関わらず、たとえば書籍「『みんなの意見』は案外正しい」(笑)のように、個別具体的な現象を挙げて“民主主義”と“正しさ”の相関をさも因果のように語るアホが出てくるから始末が悪い。上記書籍を始め、人から考える力を奪うあらゆるものに対してもっともっと敏感にならないといかん。

正しさは、人+フレームワークで形成されたブラックボックスから自動的に導かれるのではなく、人がフレームワークへの入力を変化させることで能動的に導くものだということを、入力を担う個人が理解する必要がある。

そしてその理解度こそ、その国の民主主義政治が愚衆政治か否かを測るパラメータとなる。

繰り返す。

民主主義の効能は変ることができること“のみ”。自分の胸にザクッと刻み込みつつ、あまねく世界の二足歩行動物に対して周知すべし。そして、これはなにも政治に限った話ではないということにも思いを馳せるべし。

ちんぽこ。
2009-09-04 

熱平衡と逆行を感じるCEDEC雑感 

「売れるゲーム」「面白いゲーム」という視点はそこかしこに散りばめられつつも、やはり「面白い(と思う)ゲームをどう売るか?」というアプローチは少なかったですね。有意義なトピックは多かっただけに少し残念です。

全体的にグローバル化を視野に置いたマーケティングや設計の話が多くて、国内ゲーム市場のガラパゴス化(?)に伴う閉塞感とパイの限界に危機感を抱いているデベロッパが多いという現状を再認識させる内容でした(今に始まったことではないですが)。

そこでカプコン竹内氏の話を始め、海外で戦うための「早い、安い、上手い」「組織改革・総合力」「フレームワーク」「マーケティングとパッケージング」といった話題が引き続き脚光を浴びるわけですが、それはそれで少し違和感があります。

どう考えても上記の方法論を採用できるのは、海外パブリッシャとパワーゲームを繰り広げられる資本力とブランドを有するパワフルな企業だけです。もちろんそういった国内大手パブリッシャ向けの方法論も必要ですが、一方で今急を要しているのは中小のデベロッパが生き残るため、さらには面白いゲームを作り続けるための方法論ではないでしょうか。

そう考えると、まず「海外展開すればパイは増える」という前提は、もう少し吟味する必要があると思います。

たしかにパイは増えるでしょう。そしてパワフルな企業はそのパイに対する絨毯爆撃が可能でしょう(パイに爆撃してどうすんねん、という比喩上の突っ込みはさておき)。

しかし海外でさえ、そのパイを持つ市場がすでに飽和しているのはご存知の通り。時代遅れの表現で言うとレッドオーシャンに飛び込むわけで、海外に進出したらしたで多くなったパイをさらに多くの、さらに強力なプレイヤー達と奪い合うだけの話です。それは今必要とされていることでしょうか? それはむしろ時代に逆行しているといえるのではないでしょうか?

さらに言えば、その市場に合わせてまるで欧米を熱源としてグローバルに拡大する熱平衡の流れに従うようにゲームの面白さをコントロールするのは、それこそ本末転倒のような気がします。少なくともその上で“多様性を保つ”というのは幻想でしょう。可能というならそれは楽観的過ぎます。

やはり現在の流通効率の向上やSteamを始めとした流通インフラの拡大・多様化(途上ですが)を鑑みると、戦略の中心にはピンポイント爆撃を置くべきだと感じます。個人的な感触では、単純に国内市場を見ても、「面白いけど人を選ぶ(売れない)ゲーム」が、高い精度で「買うべき人」にリーチできているかというと、必ずしもそうはなっていないように見えます。その精度を上げるミクロな議論を積み上げることなしに次のステップに思いをめぐらせるのは、少し謙虚さに欠けているのではないでしょうか。

裏を返すと、そのステップこそが海外展開で“パイの広がり”を獲得したときに発揮できる唯一効果的な方法論の獲得と言えるでしょう。この手のトピックの存在感が薄かったのが、冒頭で書いたとおり有意義な講演群の中で私が“少し残念”に感じたCEDECの印象です。

##ただ「インディーズゲームがどう生き残るか」みたいなトピックとはちょっと性質が違う気もします。インディーズゲームは自らインディーズゲームと認識している時点で良くも悪くもインディーズゲームであり、それは売れるための方策を基本的に放棄している作品というのが誤解を覚悟で言う私の認識です。

先ほど少し多様性の話をしましたが、それについて日本のパブリッシャやデベロッパは大いに自信を持つべきだと思います。海外の方が多様性は強いという一般的なイメージは否定しませんが、それこそグローバルな視点でみれば、日本のゲームは多様性の一角を担う確固たる独自性を持ち合わせていると思います。そしてそこれこそが海外展開後のピンポイント爆撃の攻撃力の源になると確信しています。

もちろん私はゲーム制作に携わっていないので、上記は本当の意味で雑感です。なに言ってんだバカとぷんすかなさる方もいらっしゃるでしょう。

しかし、理論的には大きく間違っていないはずです。持論になりますが、私は「理論的に成功するとされたものが失敗する可能性はあるが、理論的に失敗するとされたものは必ず失敗する」と思っていて、それが多少現在直面している問題の特効薬にはならずとも、あくまでもピンポイント爆撃を推す理由です。

おしまい。

##個人的には富野さんの「原理原則」の話が一番好きですね。すべて語られてしまって、影響力の小さい私なんかが当クソブログで書くことはほとんどなくなっちゃいました。
2009-09-02 

分かっているけど少しイラ。「まずは洋ゲーを遊べ――日本と海外ゲーム市場の本質的な違いを徹底討論」の雑感 

→まずは洋ゲーを遊べ――日本と海外ゲーム市場の本質的な違いを徹底討論(ファミ通.com)

KYとしてCEDEC関連のいくつかの記事には反応。上記記事の内容から論理のみを抽出すると、以下のような感じだ。

(1)儲けるには欧米での展開が必要
(2)日本と欧米のゲームは根本的に異なり、
   日本人の“面白い”は必ずしも欧米人の“面白い”ではない
(3)だから儲けるには欧米のゲームを学ぶべき

言っていることは“おっしゃるとおり”。

ところで――。

「日本と海外ゲーム市場は本質的に違う」といっておきながら、商売の観点のみで「追い抜かれてしまった、という危機感を持ったほうがいい」といわれると――講演だから多少インパクトのある表現を選んだのだろうけど――ちょっとイラっとくるよねこれ。

あ、いや、だんだん腹が立ってきた。

何いってんだオマエラんとこの国でも儲かってんのは一部のパブリッシャとそのお抱えのデベロッパだけで、中小のデベロッパはレイオフの嵐でバッタバッタと倒産しとるだろうが。それで生まれてきたのが「売れるタイトル」だ? 死ね。そりゃ洋ゲーでも人生が狂うほど面白いタイトルがあるしおれも好きだが、今のその発言を聞く限りやはり今まで通りゲームの“面白さ”におけるフラッグシップは日本のものだね。フッ。しかも今後うち(日本)の開発者は当該記事を含むあらゆる指摘を真摯に受け止めつつも想像を絶するほど面白くてしかも売れるゲームをビシバシ作りまくって世界を席巻してくれるんだぜ! カーッ、ペッ! ……ってあれ!?  この言葉の発信元は高橋さんじゃねーか! ズコー!

……みたいな。

実際には、記事中の内容なんかはおそらくほとんどのデベロッパが認識していて、あとは身の振り方をどうしようかみたいな感じじゃないのかな。しらんけど。まぁ作品性と商品性のバランスさえ保たれていれば、どんな形でもいいです。私は。

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京都府生まれの執筆業者(3234歳/男/東京都世田谷区在住一時的に京都府在住)。ライティングやらWebのお仕事やらをしています。

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