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2009-08-31 

オンラインゲームと可処分時間と非同期 

「あらゆる娯楽が可処分時間を奪い合う」という表現が――紋切り型で大嫌いだというのはさておき――使用されるようになって久しい。

しかし、オンラインゲームの視点から見るとこの表現は片手落ちだろう。大抵のオンラインゲームに伴う“同期性”は、可処分時間のボリューム面だけでなく、――待ち合わせやメンテナンス待機などの――時間帯(←いい表現が見つからないorz)の面にも制限がある。そしてこの制限こそが、今後オンラインゲームの持つ“可処分時間を消費させる力”を失わせていく。

今必要なのは、時間帯の制限を生まない“非同期”のネット接続であり“非同期”のゲームプレイ。GNOの自動対戦サーバーといいドラクエのすれ違い通信といいtwitterといい、非同期を基本概念としたアーキテクチャは山ほどあるうえ、結果を残している(逆に、非同期の対戦アルゴリズム/サーバーを用意しなかったため面白さが半減したと考えられるタイトルも山ほどある。私の愛するカルネージハートもその一つ)。これを“ゆるいつながりがイイ”などいうマヌケな言葉ではなく“非同期”と明確に認識して、どんどんゲームデザインに盛り込んでほしいと思う。

ちなみにPSP版「グランツーリスモ」(おそらく買う)は、「AI対戦機能」という形で“非同期”要素を盛り込んでいる。この辺りのスピード感(読み?)と実装のセンスはさすがというほかない。

→『グランツーリスモ(PSP版)』山内氏へのインタビューを掲載(ファミ通.com)より
『グランツーリスモ』(PSP版)では、シングルレースモードでプレイすると、自分のAIドライバーパラメータが“成長”します。そして成長させたAIドライバーをアドホック対戦時に使う……つまり、“自分ではドライブせずに、育てたAIに対戦させる”というようなことができます。AIに走らせるか、自分で走るかは、レース中にリアルタイムに切り換えることもできます。これは、従来のドライバーの腕だけによるガチンコ対戦レースとは、また違ったおもしろさが体験できると思いますよ。

要するに何が言いたいかというと、みんな忙しいのでゲームをプレイしていない時でもゲームがプレイできているような環境を作ってくださいお願いしますということでした。

個人的には「可処分時間を無理矢理に捻出することを強いるようなゲーム」が理想なんだけど、それはさすがに個人的過ぎるので大きな声で主張はしない。

~追記~

そうだ書き忘れた。この非同期要素は、

→【島国大和】ゲームはいずれ全部オンラインゲームになる(4Gamer.net)より
 ちなみに,まったくの個人的な好みを言えば,ゲームに長時間拘束されるのはまっぴらなので,「ドカーン。ズガーン。バコーン。で,2時間ぐらい腹いっぱい楽しめて8千円」とか,そういうゲームが出てくる土壌があってほしいと心から思っている。
 コンシューマで60時間遊べるゲームを2時間に圧縮したら,そりゃ面白いと思うんだよね。でも,それだと即中古で売られちゃうから,現時点では夢物語。

……なゲームばかりになることを止める手がかりになるかと。そもそもそういうゲームは私の好みではないけど。
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2009-08-27 

「東大名誉教授 原島博氏インタビュー」(CEDEC関連)の雑感と追加で聞きたい点 

→技術を売りにしているうちは,成熟期とはいえない。CEDEC 2009で基調講演を担当する原島 博教授が業界の外側から見る「ゲーム業界」とは(4Gamer.net)

→【CEDEC 2009特別企画】東大名誉教授 原島博氏特別インタビュー「主役が交代している」とは何を意味するのか!? 情報技術のスペシャリストにゲーム産業の未来を聞く(GAME Watch)

どちらも別々の切り口で原島氏にアプローチされていて、とても興味深く読めました。「顔」と「宇宙」の話はもっともっと聞いてみたいですね。

さて、氏はゲームの専門家ではないとのことなので、研究者の立場でゲームに向き合う方として、追加で聞いてみたい点を二つばかり。


■ゲームに関する学問・研究について

インタビューの中で「ゲームに関しては技術の研究が先行している」といった趣旨の発言がありましたが、では大学を始めとした高等教育機関で、実際に「ゲームの面白さ」についての教育・研究はどの程度行われているのでしょうか? また行われる余地があるのでしょうか? 

たしかに、あらゆるメディアから発せられるゲームに関する話題は、主に技術やマーケティングに偏っていて、これは個人的にも危惧(ってほどのことはないけど)しています。

一方で、では高等教育機関畑で――たとえば「コンピュータゲームとトランプの違い」のような――ラディカルなテーマに関する研究が行われることがあるのでしょうか? 

少なくともその手の研究結果はあまり耳にしません。いや、耳にはしますが、情報工学・心理学・経済学・医学など横断的かつバラエティ豊富な切り口での研究結果は、その多くが外国発のものだったりします(ソウル中央大学のウィ教授の研究はここでいう「ゲームの面白さに関する研究」よりは少し市場分析寄りですが、割と個別具体的ではありますね)。

単純にこの現象からは、ゲームというものは研究対象になりえないという認識、ひいては産業としてまだまだ市民権を得られていないといった印象を抱きます(別にそれがダメ、と言っているわけではなくて“見える”という話です)。仮に研究されていたとしても、アウトプットのチャネルが確立されていなければ「オタク学」(©岡田斗司夫たん)の域を出ないのでは? と思いが強いです。

研究者のキャリアパスが不明瞭だったりするだろうし、個人的にも「ゲームの面白さ」を研究し続ける人間のイメージは掴めません。もっと言えばこれは「娯楽産業の宿命」なのかもしれませんが、では娯楽産業のミクロなテーマが研究対象になりうるか否かの溝はどのあたりにあって、その溝を越えるためにどういった整備が必要になるのか、その辺りのお考えを伺ってみたいです。


■んで、もう一つはゲーム(業界?)の将来像について。

やはりインタフェースの話題が出ていましたね(笑)。インタフェースについて書き出すと長くなるのでサクッといきますが、将来像について聞いてみたいのは、主に下記の3点です。

・パッドというインタフェースが定着した現実はどう分析できるか?
・異なるインタフェースが登場したとき、トレードオフとして何が失われるか?
・インタフェースの進化の“方向”について

個人的には過去のエントリーでも書いてきたとおり、パッドは現在の(まぁ古典的な)コンピュータゲームにあらゆる点でマッチしており、たとえば2時間前後が映画の最適な尺だとされていることに似た関係だと考えています。そういった総括なしに次々とインタフェースが開発されてスタンダードとなっていくことで(ならないとは思っていますが)、得るものと同時に失われるものもあるのではないか、そしてそれこそが“今”研究すべきことではないのかという気がしています。

またインタフェースは、人間の入出力器官をどの程度駆使するかによって、パッド+αかパッド-αの二種類の進化が想像できます。にも関わらず「ヌンチャク」や「Project Natal」に代表される新たなインタフェースの多くが“+α”を志向していることは何を示唆しているのでしょうか?


以上。

###########


というか、誰に向けて書いているんでしょうね私は(笑)。しかも冒頭で話題を絞った割には、聞く人を大きく間違っているような気もしますし(笑)。

まぁ個人的には上記のような点に興味があるので、CEDECに行かない私の代わりにどなたか適した人をつかまえて聞いてきてください、みたいな。


2009-08-24 

オンラインゲームが不完全な理由&だからこそ受け入れられているという件。ネガティブな話ではなくて 

(3点リーダーが……になって気持ち悪い……。ほらまた……)

これまでもあちこちで書き散らかしてきたように、私は「オンラインゲームはゲームとして不完全な形(≠面白くない)」と考えている。しかし何度も書いてきた割には根拠が断片的で多くの人にうまく理解してもらうに足りないと感じたので、少しまとめておこうと思う。主に自分のために。

※不完全……上記も含め、以下“不完全だと感じる”と読み替えていただけるとこれ幸い。

まず“コンピュータゲーム”は、プレイヤーの入力を受け、その入力を基にした出力が仮想世界にどう変化を及ぼすかということを楽しむためのシミュレータであるといのうが私の根本の理解(※)で、早い話が「人の代わりにプレイヤーと遊んでくれる装置」というのが個人的な主張の根幹をなしている。

※もちろんシミュレータとして、現実世界の現象をデフォルメすると同時にハードルの低い入力インターフェースを用意することでうんたらかんたら~といった特徴もあり、むしろ私はそちらに興味があるんだけど、今回の論点ではある程度無視できるのでまた改めて。

その仮想世界の多くは、環境や人を現実に近づけることが“向上”とされていて、たとえばNPCなどはできるだけ現実世界のプレイヤーキャラクターに近い振る舞いをするよう、思考回路が設計されていく。

問題は、“プレイヤーキャラクター”と“プレイヤーキャラクターのような振る舞いをするNPC”はまったく別物ということだ。リアルタイム性を伴う多くのオンラインゲームが不完全なのは、この部分をまさにプレイヤーキャラクターに置き換えてしまうことで解決しようとした点にある。

なぜそれが問題なのか? それはゲームに社会性を持ち込むことになったから。

冒頭、私は「人の代わりに遊んでくれる装置」をコンピュータゲームだと書いた。ではなぜ人ではなくて“人の代わり”なのかというと、それは“社会性を排除したかった”からにほかならない。ここで言う社会性は「会話」や「マナー」など、もっと具体的にいうと、「待ち合わせ」や「約束」など、人が2人以上になると発生する手続き全般のことである。

上記のように本来は排除したかったはずの社会性が、リアルタイム性を伴うオンライゲームには付加されている。これが私が“不完全”と感じる第一の理由である。

ここでこう考える人もいるだろう。「オンライゲームは社会性があるからこそ面白くて、(かつては)新規性があり、これほどまでに受け入れられているのではないか」と。

これは“まさにその通り”で、返す言葉はない。

ただそれは「“不完全である”ということと“面白い”ことは矛盾しない」だけの話である。

社会性の持つ愉悦は、本来“ストレス”を伴う愉悦で、それは現実世界の学校や会社でいくらでも味わうことができる。だからこそコンピュータゲームはそれらを排除しようとして生まれてきたし、“コンピュータゲームの正しい進化”に社会性の入り込む余地は本来ないはずなのだ。誤解を承知で言えば。

にも関わらず、その手の愉悦をゲーム内に必要とするのは、現実世界で社会性の持つ――ストレスを含む――愉悦を味わえていないことの裏返しなのではないか、というのがオンラインゲーム隆盛にまつわる一般論に対する私の理解だったりする。オンラインゲームはその不完全性がむしろ魅力なのだな(※)、と。読む人が読んだら不快に聞こえそうでものすごく不安なんだけど(怒らないでね!)。

※ただしこの部分には意図的に論理の飛躍が含まれていて、「オンラインゲームの特性(オープンフィールドだったり○○だったりなどなど)が発する面白さが社会性を持つことによるデメリットを単純に上回っている」可能性もある。ここでは私の主観、とくに“最近の私がオンラインゲームを敬遠している理由”から帰納して一般化しているので注意。

まとめると、

・オンラインゲームは不完全である
・オンラインゲームの不完全性と世相が合致している

という二つの理由で“現在は”広く受け入れられているのではないかと言いたいわけであるんであります。こう書くとびっくりするほど月並みなんだけど、結論なんかどうでもいい。

ここまでが、過去の主張の断片をまとめたもの。

じゃあ私の思う“完全形に近づく”とはゲームがどのような形になることか?  というのは――誰も興味を持っていないのはさておき――また今度。本エントリー自体が少し長いし、デスクトップPCのある部屋はクーラーが無くて暑いので。一つだけ書いておくとすれば、この不完全さは“リアルタイム性をもったオンライン要素”にのみ存在する、という感じ。

念を押しておくと、私はオンラインゲームが面白くないとかダメとかと言っているのではなく(だって私もそれなりに遊んできたし)、「向かう方向はどっち?」という話をしている。かつてオンラインゲームが面白かったことは認めつつも、私も含めて多くの人が抱いているであろうオンラインゲームに対する漠然とした不満はどこからくるのだろう、というのを興味の対象としているだけだ。

しかし、この手の議論はあまり表に出てこない(あるところにはあるんだけど……)。少なくとも「さあ、ゲームを作ろう!」と思ったときに、この思考がまったく頭をよぎらないわけがないし、よぎらなかったとしたらそのゲームが面白くなる可能性はものすごく低くなる(おそらく、少なくとも私にとっては)と思うんだけど。

こういう定性的な話って書きにくかったり、書きづらかったりするのは分かるんだけどねえ。あんま気にすんなや、って感じなんだけども。


ゲーム
▲拾いもの
2009-08-19 

無料オンラインゲームと課金方式の件に微妙に反応 

→【切込隊長】そろそろ「無料」と銘打つのはやめにしないか,オンラインゲーム業界は(4Gamer.net)

やっぱり隊長の記事は楽しいですな。私なんかは「課金方式とゲームデザインは不可分で、サービス提供側として今このタイミングで無料を謳わなければならないゲームを作った(選んだ)時点で負け」とか身も蓋も愛もない主張になってしまうけど、それはやっぱり立ち位置の問題なのかな。あと私の知見の狭さと。

個人的にゲームの成功の分水嶺となる要素は、主にゲームデザイン(「ゲームのメタタイプ」と「テーマ」の組み合わせ)と、時系列で見たそのゲームの位置によって決まると考えている(もちろん他にもあるけど、まぁ便宜上)。

時系列で見ると、ゲームのメタタイプとテーマをうまくバランスさせたタイトルがまず成功し、そのあと大同小異なタイトルが量産されることになる。この小異部分は、本来はゲームのメタタイプとテーマの組み合わせによって表現されるものだったが、ここに月額や基本無料+アイテム課金という課金方式が混入。それらを含めた小異部分が分水嶺として働いていた時期はもちろんあるが、とくに課金方式は、現在のプレイヤーにとって差別化要素となりえない瑣末な問題と化し、単に運営側の都合によるものとなった。

というよりもむしろ、現在では「基本無料」という謳い文句は自らを「基本無料ゲーム」というカテゴリに追いやるものでしかなく、とくにロイヤルカスタマーと成りうる廃人から見れば所詮~という印象を与えるレッテルとなっている。そうしてゲームのメタタイプとテーマの妙を吟味してくれるプレイヤーを逃すことで、基本無料ゲームはやはり基本無料ゲームというカテゴリ然としたサービスやアップデートを繰り返し、もはや様式美とも言える衰退ラインを描くというのが私の印象。おそらくプレイヤーは課金方式とゲームデザインが不可分なことを肌で感じているからこのような現象になる。これまでに起こったことを偉そうに書いただけだけど。

……と、あと倍ぐらいツラツラ書いたのだが、延々と後ろ向きな内容が続くのでやめよう。それでも、せっかくなので課金の話を。

アイテム課金や制限解除課金を採用しているゲームで気になるのは、非課金/課金の境界の設計に割と無頓着(に見える)なこと。ただでさえ課金は複数のハードルをプレイヤーに強いていて、“お金を払う”という当然のハードル以外にも、「課金プラットフォームの理解」や「課金プラットフォームを利用する手間」というハードルをプレイヤーの前にそびえ立たせている。それは金額の問題ではなく、1円でも1万円でも変わらない障壁となる。

さらに言えば、その境界は当然「ゲームのやめどき」を提供するタイミングでもある。プレイしていて「アイテムほしいな」とか「この先のクエストもやりたいな」と感じたときに「続けますか?やめますか?」と問われるスキームなのである。こう書くとすげーな。

普通に考えて、上記のハードルを取り除くためには“境界の到達前”に「お金を支払う」という行為を経験させて境界の位置をずらすことが重要なはずで、宝くじでも押尾の唾液でものりピーの毛髪でもいいから、1円~10円程度の小額で、かつ必ず金額以上の価値を持ち、広くマスにリーチできる商品(つまり当該ゲームより遠ければ遠いほど良し)を何が何でも死力を尽くして購入させるべきだと思う。つまりは一点集中すべき唯一のポイントとなるはずなのだが、その境界への配慮をあまり感じない。少なくとも私は。

いや、たしかに境界以前に支払いを経験させるのがいかに困難かはよく分かるし、集客としての基本無料スキームとして矛盾する点があったりするけど、最低限その程度境界を意識した施策を打たねばならないという宿命を背負っているのが、定額・定期課金以外の課金方式なんじゃないかと思うわけで。

同じような話で、かつてキラータイトルという言葉は、いわゆる「プラットフォームの売り上げを牽引するようなタイトル」を指して使用されていた。しかし、少なくともコンシューマ機のようにプラットフォームごとにLiveやWi-Fiといった課金インフラの利用を前提としたタイトルを提供する現在のプラットフォームにとっては、前述の“境界”を通過させる役割を果たしたタイトルやサービスが、真のキラータイトルになるんじゃないかと思うんだけど、それを意識している片鱗をどこにも見ないというのが正直な印象だったりする。もっとがんがれ、みたいな。

うーんなんか面白くないな。やっぱり自分の関心がそれほど高くないからかなー。

書いて損した。


▲拾いもの
2009-08-18 

ほほう。「民主党の党旗、日の丸を切り刻み作成」 

切り刻まれた日本国旗


民主党 切り刻まれた日本国旗
▲youtubeはどうせ消されるだろうから一応画像も

うーん本当かどうか知らんけど、これ見ると天下りも年金問題も高速道路も地方分権も何もかもどうでもよくなってくるねぇ。――っていう思考がむしろ誰かさんの思う壺だとしても、それでもやっぱり……というレベルですな。

個人的にはこの悪意に怖れおののきつつムカッとくる気持ち半分、これを広めればかなり楽しめるという気持ち半分といったところ。

というか、この時期には打ってつけのシンボリックなトピックかもしれん。これを理由に自民が勝利したりして、世界から失笑を買いつつ「日本人はバカだが誇りが高い。しかしやっぱりバカだ」みたいな評価を得るとか、浪花節が効いててかっこいいじゃないか。そんなドラマチックというかむしろスラップスティックな展開になると想像するとゾクゾクすんぜ。

なんだか素敵だ。流れが。


##ハッ! またくだらない話題に乗ってしまった!
##……という気持ち半分、実は割と素直な義憤半分
##つか、これでもまだ民主党がいいって人はどれくらいいるんだろ?
##(組織票要員の方たち以外に)
##もう自民党で我慢しようぜ。一応“日本”は保たれるんだしさ。
##政治腐敗&ネオリベラリズム下でも狡猾に生き残るよ日本人は。
2009-08-17 

吉本ばなな居酒屋事件の真実 

→「私が人脈持ってる人間だとわからないの!?」…吉本ばなな氏のエッセイを紹介したサイトが話題に(痛いニュース(ノ∀`))

「両者の言い分が分かる」などという低脳な発言は論外として、普通に考えて杓子定規な対応をした店員が×でFA。しかしこれだけでは片手落ちだ。なぜなら問題を客/店員と抽象化している点で想像力が限定されているからだ。そこにいたのは“単なる女性”という抽象概念ではなく“吉本ばなな”という実体であり物質だったのだ。

このように対象をキチンと実体化した後、元神童・現チンピラこと私が分析すると、

「ばななさんのルックスのせい」

という結論が導ける。ルックスが違えば結果はおそらく別だった。つまり「ばななさんのルックスだから店員は杓子定規な対応をした」というのが真実だ。それ以外のいかなる議論も蛇足に過ぎない。

スレの流れでも所々でばななさんのビジュアルに関して誹謗中傷言及しているレスがあったが、これを根本の原因と結論付けられない時点で私の勝ちだ。圧勝かつ完勝だ。全部終了ガラガラポンだ。



2009-08-17 

なんて深いんだ! 悠久の時を経て「ベストキッド」を再視聴。そしてバランスの話 

実をいうと私は、日本全国で10人に満たない(と私が勝手に考えている)という奇特な「Yahoo!映画-オンラインシアター-」の有料会員だったりする。このサイトは極めて恣意的というか受動的なタイトル選びが特徴で、「スパイダーマン」から「殺人魚フライングキラー」まで、“体系的”という言葉とは程遠いラインアップの映画を楽んだり楽しまなかったりすることができる。

そんな中、最近視聴したのは世界各地に偏見てんこ盛りのカラテ旋風を巻き起こしたことで知られるスポ根映画「ベストキッド」。何を隠そう私も本作公開の前後に空手を始めたミーハー人間の一人であり、毎回、練習時間の7割を懲罰による正座で過ごし、茶帯まで取得したにも関わらず冬の寒さと当時19:30スタートだったドラゴンボールを視聴できないという理由で辞めたという輝かしい経歴を持っている。

今回改めて視聴したわけだが、初見が幼少時とあってか、作品から受ける印象がまったく違うことに愕然とした。主人公のダニエルはスポ根らしく根暗で気の弱い性格かと思いきや、遠方への引越し初日にコンセプト不明の淫らなパーティーに参加したり、そのパーティーでヒロインにちょっかいをかけたり、ヒロインといい仲になった後はタランティーノ映画顔負けのウィットに富んだ軽口で彼女の心を鷲づかみにしたりしている。ストーリー上で敵方となる空手の使い手に対しては、遭遇直後こそいわれのないいじめの対象となっているものの、そのいじめに対して主人公は何度も陰湿な報復や挑発を繰り返しており、敵対関係を強固なものとしたのはむしろ主人公の側とすら思える。

こんな感じでツラツラと書くと膨大な文量になってしまうので、以下箇条書きにて、久しぶりの視聴から私の受けた印象を書き残しておきたい。

・ヒロインは、首から下がイノシシに似ているという点を除いては美人。ちなみに、古き良き色白&ブロンド&デブ&強靭そうな顎というビジュアルは完全に私の好みだったりする

・敵方の空手道場は軍人上がりのキチガ○が運営していて、稽古中の掛け声を「殺す!殺す!」で統一するなど、かなり好戦的な教えを説いている

・主人公ダニエルに空手を無理矢理教える謎の日系老人ことミヤギは、かつてアメリカ軍に日系として従軍したという背景があり、従軍中に妻と子供を出産時の合併症で同時に亡くすという非常に暗い過去を持っている

・ちなみにミヤギ役を演じたNoriyuki "Pat" Moritaは、2005年に老衰で他界。それほど恵まれた俳優人生ではなかったようだが、ファンは皆いまでもミヤギのことが大好きなので心ゆくまで成仏してほしいと思う

・.クライマックスの空手大会のルールがよく分からない。寸止めのようだが、攻撃を食らった選手は漏れなくうずくまって痙攣している。それでもお咎めはないが、主人公が敵方の暴挙で足を骨折した際、その選手は反則で失格となった。「怪我させちゃだめ」という特殊なルールのフルコンタクト空手なのだろうか? 基本的に素手だし、やっぱりよく分からない


####


ところで、再視聴していてハッとしたのが以下のシーン。主人公のダニエルに対して、ミヤギが“バランス”の重要性を説いている。もちろんこれは身体的なバランスに限らず、恋愛や人生全般においての話である。

ベストキッド ミヤギ バランス

――バランスは空手だけじゃない

――人生すべてだ

――人生すべて バランスだ

――すべてが良くなる

内容としては、クライマックスへ至る過程で主人公とミヤギが各々の信念を再確認するというなんてこともないシーンなのだが、私は不覚にも乙女のようにポロポロと涙してしまった。

こちらにこんな話を書いたように、私は物心付いたころから思いつく限り崩すことのできるすべての項目おいてバランスを崩してきており、それゆえ現在ではびっくりするほどバランスを重要視している。でもその重要性は、ベストキッドをはじめ、もっともっと前にあらゆるメディアを通じて私に説かれていた。それを20代後半になってやっと気づくとはなんと未熟だったのか。もっと早く気付いていれば……という後悔の念が押し寄せてきたわけだ。

しかし一方で、バランスを崩すことでバランスの重要性を知るということの大切さも伝えたい気がする。むしろバランスを崩すことでしかバランスの重要性は感じられないはずだという思いは強い。願わくば、若い人には大いに、かつ“適度”にバランスを崩してその重要性を感じてほしいな、と。言葉だけで得たバランスは、シーソーの支点に立つような不安定さがあって、ちょんと横から押されたらすぐに落ちちゃうよ、と。手のひらを上に向けて傘を立て、ふらふらと調整しながらバランスを保った方がよほど安定するんじゃないか、と。

そんな風に思うわけです。なぜかベストキッドを観ながら。
2009-08-13 

MH3、ファミ通満点と叩き売りの件 

→ファミ通で満点のモンハン3が壮絶爆死 発売10日で2980円のたたき売り(【2ch】ニュー速クオリティ)

「出荷・入荷の調整ミスだった」という論調は正論なのでどうでもよいとして、関係者がこの現象からどのような教訓を導くかに要注目。

・ファミ通の援護射撃
・モンハンのブランド力
・ゲームリテラシの低いWiiユーザーの無批判購買

上記辺りを期待するという怠慢戦略の複合技が負の相乗効果を高めた結果だというのはおそらく大抵の認識だと思うが、根本の原因は――言い飽きたけど――「Wiiはゲーム機ではない」という認識がまだまだ薄いという点だと思う。

以前私は「ゲーム機じゃないよ」と書いたが、これは比喩でもプラットフォームから受けた漠然とした印象でもない。MH3をゲームのメタタイプそのままにWiiで展開することは、ワイングラスでカレーを食べたり、マクドナルドの食品に高い栄養を求めたり、同人誌に面白さを求めたりするのと同じ根本的な間違いというかミスマッチであることを早く理解した方がいい。この主張を何度も怪我をしないと腹に落とせないのは、Wii云々以前にゲームという娯楽とこれまでの文脈に対しての理解が浅いといわざるを得ない。

……といった主旨の主張を、この業界でキチンとした権威のある人がポジショントーク抜きに語れればいいんだけど、実名でそういった人が出てこないのもこの業界の特徴と言えば特徴かも。業界紙でも作って、専門的な分析を行う人間が食っていける土壌でも作らないとどうにもならないんじゃないかなーと。

まぁ強力な匿名論客自体は枚挙にいとまがないほどいらっしゃるので、上記のような内容を体系的にまとめて新書でも出してくれたらいいと思う。

そもそもゲームの“面白さ”を論じることは――今の世の中では――無意味とされていて、そうであるが故に話題にするのは簡単。でも面白さという主観的な尺度での評価とは異なり(←実はそうでもないんだよ)、実名で市場の視点を加えて販売予想をするのは、結果が数値で判断できることもあるし、そんなリターンのないリスクを背負い込む人は少ないという話。んで、それが結果から帰納してそれらしい後付け理由を書いて悦に入っているなんちゃってマーケティングブログが乱立するというクソみたいな状況を生んでるんだけど、でもそれはそれで読むと痛快だから需要が高い、みたいな。予想屋さんていないよね、みたいな。死ぬの? 死んじゃうの? みたいな。

私もこんなところで程度の低い愚痴を言っててもしようがないんだけどなー。まぁそれがGueedクオリティってことで。

ん? MH3の話? それは繰り返しになるけど、

「非常に良くできており素晴らしいが、一から作り直す必要がある」

という一言でよろしいかと。



2009-08-11 

邪悪な私が唯一心を許せる聖なる漫画「バカ姉弟」 

バカ姉弟 5 (KCデラックス)バカ姉弟 5 (KCデラックス)

講談社 2007-01-06
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ちょうど私が週刊ヤングマガジンを読まなくなった1999年頃に連載が始まった安達哲氏の「バカ姉弟」。まぁ有名な作品なのであらすじや登場人物などはWikipediaやあちこちのファンサイトでも見ていただくとして、たとえば私が宇宙人に「ピポポ、日本人は微妙な色や雨・雪にそれぞれ異なる名前を付けてしまうほど繊細な心を持ち風情を心から楽しめる民族だと聞くが、ピポ、そんな君が私にお薦めする漫画はなにかね? パポピ」と聞かれたらぜひ本作をお薦めしたい、そんな作品である。

これほどに「何度でも読める」や「人に薦めたくなる」という月並みな表現を使わざるを得ない漫画を私は知らない。読む人によっては作品の醸し出すクリーミーな雰囲気をもって、「よつばと!」のような読後感(私は違うが!)を抱く場合もあるかもしれないが、両者は完全に異質。絵やコマやネタを読者に抱かせる感情に合わせて完全にコントロールするというクオリティの面ではたしかに同質だが、ある意味あざとく計算し尽くされた原色のイメージを抱かせる「よつばと!」にはない、パステルカラーのような中間色でしか表現できない深い味わいが本作にはある(どうよ、この抽象的過ぎて誰にもリーチしない表現は)。

「平成15年度第7回文化庁メディア芸術祭優秀賞受賞」を受賞しているらしいけど、こういう本が――少なくとも字面上は――権威のある賞を獲れるという点に救いを感じる。青年誌での連載ということでやっぱり知名度は低いんだろうけど。いや“低い”とは言えないかもしれないけど、うん、やっぱり渋谷の駅前交差点で石を投げて当たった子がこの漫画知らないだろうなと想像できるということは低いんだなという感じである。

個人的に一つ確実に言えることは、本作は単行本で読んだ方がいいということ。以前、本というメディアの特徴について書いて私は今でもそうだと確信しているが、通読してこそ本領を発揮するコンテンツは本で読んだ方がいい。本作は、連載が進むにつれて徐々に顕在化する主人公姉弟とそれを取り巻く環境の微妙な変化を感じ取る必要があり、微妙ゆえにこの変化は通読の可能な単行本でこそ味わうことができる。オールカラーなので少し値は張るが、全5巻と適度なボリュームなのでまとめて買って読んでほしいと思う。現在、知人(※ハゲている)の奥さんが妊娠中とのことなので、暇つぶしのために贈ってあげたいなー。

……このように、生来邪悪な私が上記のような人間らしい感想を抱いてしまうほどのパワーがあるのだ。

みんなお盆に読んでね。どうせずっと雨(いい気味)だし。
2009-08-08 

「Amazonの不評は『そういうもんでしょう』と和田社長」とのこと 

→売れ続ける「ドラクエIX」 Amazonの不評は「そういうもんでしょう」と和田社長(ITmedia News)
 Amazon.co.jpのユーザーレビューでは酷評も多かったが、「ネットですから、まぁ、そういうもんでしょう。クリエイターたちにも『気にするな』と言っている」そうだ。ネット上に書かれている、好き・嫌いに関する意見と売り上げは「経験的には無相関、ほとんど関係ない」という。

 「好き嫌いについては、いい意見も悪い意見もあっていいんじゃないか。しょうがないと割り切るしかない。ものすごく悪く書かれたら売れないとか、すごく良く書かれたら売れるとか単純なものではない。お客さんはかなり冷静に見た上で判断している」

残念ながら当該記事中の文言のみからは論理的に導けませんが、行間には「面白さと売り上げに相関はない」というゆるぎない思い(と現状認識)が滲み出ています。とくに「お客さんはかなり冷静に見た上で判断している」というコメントなんかは最高ですね。実際には「見ずに」あるいは「買うことを前提に見た上で」判断している購買層に対してヨイショを忘れないあたり、正確無比なターゲティングと冷徹な商魂を遺憾なく発揮していらっしゃるな、と感じられます。

ビジネスマンとしては至極真っ当かつ冷静な現状分析は尊敬に値しますが、一方で「この人は私に面白いゲームを提供してくれない」と改めて認識しました。なので私のような人間の声にはできるだけ耳を塞いでいただいて、今後も売り上げがどんどん伸びるよう、頑張っていただければと思いました。そして、クリエイターの方達にも今まで通り「売り上げには関係ないから気にするな」とアドバイスなさればよいかと。

~2009年8月11日追記~
しまった決算説明会内の発言じゃないか!
それなら9~10割引で聞くべきだった。ごめんなさい
2009-08-06 

ゴシップの域を遥かに凌駕したダイナミズム 

成層圏を貫かん勢いで天高く上げられたハードルを前に、のりピーがどのような演出で飛び出してくるのかが非常に楽しみ。そして問題は「マンモス何ピーなのか?」である。

※というわけで、ブログのエントリ投稿をtwitterに通知する「twitterfeed」を設定してみたのでテストです。
2009-08-05 

そういえばMH3の件だけど、どちらかというと話にならないレベル 

MH3@Wikiより。

オフラインではあまり楽しめませんか?

PS2版同様に、オフラインでプレイ可能なクエストはかなり限られており、オフラインですべてを遊びつくすことはできません。クエスト数が絶対的に少なく、報酬や素材も限られるので、オフラインでプレイできる要素はほんの一部です。
しかし、モンスターハンター3はそもそも膨大なボリュームがありますので、一部であっても他のゲームと同等以上には楽しめます。

これが昨今の課金型オンラインゲームにおける「面白さのリミッター」です。

ゲームのオンライン化によって生じるトレードオフとして、多くのメーカーがあきらめている部分でもあります。ゲーム人口が少なく、リミッター解除の料金を徴収することで顧客単価の向上を目指さざるを得ない国内の事情はよく分かりますが、こういった失笑モノのナンセンスなクソリミッターなしで成功している例もあるなか「その程度か」という思いを禁じえません。

本当にありがとうございました。


####

というか、金を取るのはいくらでも取ればいいと思う。でも今となってはオンライゲーム化そのものが時代に逆行してるということだけは覚えておいた方がいいと思う。私は昔から口にしているが“オンラインはゲームの付属物”。ゲームがオンラインの付属物になった時点でそれはアウトなんですな。

では、せっかくなので、以前同僚の編集者と「一度は使ってみたいね!」と話していたこのフレーズを送りたい。

「非常に良くできており素晴らしいが、一から作り直す必要がある」
2009-08-05 

お金をもっとうまく回せないものか 

暇だし暑いので裸で株の本などを読み漁っているのだが、株の――非ギャンブルとしての――投資の考え方がいまいち納得いかない。会社じゃなくて、製品やサービスに対して投資ってできないもんなのかね?

たとえば私はPSPゲーム「カルネージハート・ポータブル」が死ぬほど好きなわけだが、だからといってその開発元であるARTDINKに投資する気にはなれない。そりゃそうだ。株主として投資した会社は当該ゲーム以外のゲームも取り扱っていて、万が一私が多くの株を持って企業に対しての声が大きくなったとしても、他のゲームやそれ以外の製品・サービスにまで言及できるはずがないし、したくもない。

横山宏 マシーネンクリーガー カルネージハート・ポータブル かるぽ
▲あまり関係ないけど、これはかるぽのロボットをデザインしている“神”こと横山宏氏のデザイン(知る人ぞ知る「Ma.K」ですな)。うう、逆間接に萌える。萌え死ぬ。

もっとこう、製品・サービスの単位で小口(まじで小口)の投資ができる方法はないものだろうか? ゲーマーとしては、開発に開発資金を提供できて、さらに好きなゲームが売れることでなんらかの配当が得られればそれほど嬉しいことはないと思うのだが。売れるための草の根プロモーションも喜んでするぜよ。おそらく多くの人が。

“面白いけど売れない”ゲームを今後も作り続けてもらうためには、そういった枠組みの整備が必要なんじゃないかなー。だってこれ、金銭的・精神的な面を合わせて考えれば誰も損しないし、まさに投資! って感じだべ? 

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京都府生まれの執筆業者(3234歳/男/東京都世田谷区在住一時的に京都府在住)。ライティングやらWebのお仕事やらをしています。

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