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2009-06-30 

「アニメーターの給料が安いのは搾取のせい」という論調が嫌い 

→アニメーター「月給7万…彼女できても結婚できぬ」…「アニメの殿堂より現場に資金を」の声 (痛いニュース(ノ∀`))

定期的にエントリーされ、今回もアニメの殿堂騒ぎに乗じて盛り上がっているこの話題。

レスやコメントは判で押したように「広告代理店やテレビ局の搾取のせい」という論調だけれども、じゃあなんで搾取(と呼ばれることを)されるかっつったらなんだかんだでアニメーターという職業(職能)が、供給過多かあるいはリプレイサブル(代替可能)だってのが一番の理由なんじゃないのかと。以前「日本のアニメってそんなにすごい?」でも似たようなことを書いたけど。

つーか、そもそも専門知識や技術があっても、それは必ずしもお金には結びつかないよって話じゃないのかな?(以前やいやい言われていた「IT土方」と根本の問題は同じっぽい)。ほら、たとえば日本中の道路に落ちてる犬のうんこを拾い集めて地上100メートルの高さに積み上げる高度なロジスティクスやうんこの加工・組み立て技術を持っていても、だれもお金をくれんでしょう?(知識・技術の価値の問題)。仮にその技術にお金を払ってくれる人がいても、技術を持つ人が多ければ分配率は下がるでしょう?(需要と供給の問題)。

いや、そこまでシニカルに書く必要はないんだけど、問題の構造はほかの低賃金職業とまったく変らんのに、なぜそこまでアニメを特別視するのかが疑問。まぁアニメが好きなんだろうから特別視するところまでは百歩譲って良いとして、だからといって特権的な支援を要求するのはお門違いというか傲慢過ぎる気がする。無差別平等な生活保護を訴える分には誰にも文句言われんだろうし。

――と、100番煎じぐらいの意見を書いてみる(いやぁ、我ながら新しい視点が一切入っていないことにびっくりしている)。好きなアニメのある個人としては「すまん!すまんけど頑張ってくれ!」という思いが精一杯。

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書いてみて思ったのだが、そういや私はアニメーターという職業の内容をほとんど知らんな。「まぁリプレイサブルなんだろうな」っていうのは現象からのみ帰納しているだけだし。じゃあアニメーターって同職種の人間と差別化可能なほどクリエイティブな仕事をしているの? というのが素朴な疑問だったりする。「疑問に思う」じゃなくて「知らない」という意味で。創意工夫のレベルだったら自給1000円未満で働くコンビニの店員ですらやってるわけだしなー。

それが分からないから、低収入という現状を打破するだけのパワー(というか余地、か)が、アニメ産業、技術、個人に残されているのかがそもそも分からん。なんだ、分からんことだらけだな。
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2009-06-26 

そういえばいまさら「よつばと!」を読んだのだが 

まったくスゴイ漫画ですな。

よつばと!

よつばが放つ強烈な光とその反射部分だけをピュアに描いて、その光が落とす影を一切描かないというファンタジックな作り。そして読者は、強い光だからこそ黒々と落ちる濃い影の存在を感じながら読み進めることになるという。意図的に、そしてさりげに隠されているから余計に意識が向く。だから読中も読後も、総じてもの悲しく、寂しい。

幼いころ、正月に親戚がたくさん集まってにーちゃんねーちゃんとわいわいとはしゃいだあと、みんなが帰って寂しくなる、そんな読後感。もちろん遊んでいる間も、いつかは親戚がみんな帰ってしまうことが分かってるから、我に返るたびに寂しい。

あとあれだ、その影を隠して描けるということは、作者はその影を感じながら描いているということの裏返しでもある。同情を禁じえない。かなり強靭な精神力がないと(おそらく)描けないぜ? この漫画。

とても面白いしほのぼのするし読んでしまうし凄いとも思うが「好き!」にはならないし、癒しになることはもっとない。だから★4つ。個人的には、どちらかというと、描かれたドス黒い影の中に光がチラチラとこぼれ見えているような作品が好きかなぁ。「ゴリラーマン」とかね。割と対極っぽいよね。

しかしAmazonのレビュー群、言いたいことは分かるけど、共感できるものはほとんどないな。やっぱ現世に向いてないのかなー、私。


2009-06-23 

自戒の念を込めつつニュースの書き方を 

→F1イギリスGP、レッドブルが今季2度目のワン・ツーフィニッシュ!
  (Yahoo!ニュース)


上記の記事の主旨は「レース結果」のはず(実際、そういう見出しで私はリンクを踏んだ)。それなら構成は、以下のようにするのが最もスマートだろう。

(1)レース結果(順位)と、レースの基本情報
(2)レース中の出来事
(3)現状と今後(ドライバーズ/コンストラクターズポイントの件など)

にも関わらず、レース結果がかなり下段のパラグラフにあるのがまずイライラする点。さらにイライラを増すのが、(1)や(3)を文章にしている点である。このような記事に遭遇するたび、イスから転げ落ちそうになる。

 以降の入賞圏内は、4位フェラーリのフェリペ・マッサ、5位ウィリアムズのニコ・ロズベルグ、6位は今季初めて表彰台を逃したJ.バトン、7位トヨタのヤルノ・トゥルーリ、8位フェラーリのキミ・ライッコネン。トヨタのティモ・グロックはK.ライッコネンにコンマ2秒まで迫るも9位とポイントを逃し、自己最高グリッドの5番手からスタートしたウィリアムズの中嶋一貴は11位に終わった。

なぜ以下のように書けないのだろうか? この結果を基に、初めて話が展開するはずなのに。 

優勝 セバスチャン・ベッテル(レッドブル)
2位 マーク・ウェバー(レッドブル)
3位 ルーベンス・バリチェロ(フェラーリ)
4位 ・・・


11位 中嶋一貴(ウィリアムズ)


上記のような(考えれば小学生でも分かるような)まとめ方ができないのは、下記のような書き手のパーソナリティの問題だと思われる。

・書き手の自意識……「おれってこんな文章かけるんだぜ?」
・書き手のステレオタイプ……「文章ってこんな感じだよね」(無意識)
・書き手の怠慢(無意識)

私もデイリーニュースを書いていた時期があるので分かるが、本来図や表組で表現可能なものを文章で書くのはとても楽だ。なぜなら読み手のセグメントや可読性を一切想像する必要がなく、頭を使わなくていいから。必要な情報さえ入っていればそれで十分だろうという考え方である。

しかし書き手のこういった怠慢は、長い目で見ると必ず損をする。具体的には、以下のような点で自分(自メディア)の首を絞める。

(1)定型化していないので毎回、構成に時間がかかる
(2)ひと目で情報の過不足をチェックできない
(3)メタ情報が少ない(または構成が悪い)ためDBとしての価値が低い
(4)せっかくの書き手の視点が基本情報に埋もれる
(5)読み手が減る(ウホッ☆)

「そんなことで読み手が減るかボケ」という人もいるかもしれないが、もし定期的に同様の主旨の記事を用意する競合がいたとしたら、間違いなく減る。私のように記事を見た瞬間に「分かりにくい。死ぬの? 死んじゃうの?」とは思わないまでも、ストレスは無意識に必ず蓄積する。そして結果としてその記事(とメディア)の権威を落とすと断言できる。

いや、書いてて実に耳(目?)が痛いのだが、これってかなり重要なことだったりする。なので自戒の念を込めつつ書いてみた。もしかしたら最終的に紙媒体に落とせるように敢えて文章に詰められているのかもしれないが、それならそれで指摘できる場所は山ほどある。それに、少なくとも私は当該記事をWebで見たので、情状酌量の余地はない。


####


ちなみに私は基本的に自分でもげっぷが出るほど自意識過剰なので、肥大した自意識の発露として書く仕事をするときは(4)などを中心にとても意識している。過不足のない情報と理路整然とした構成のなかでこそ、自意識を込めた文章は光る。そして自意識は、あくまでもさりげなく散りばめることで最大の威力を発揮すると知っている。

……というか、最近(ここ数年で)知った。二十代前半で気づくべきだったと反省している。


~追記の業務連絡~
携帯が止まっています。
2009-06-18 

任天堂・宮本氏の発言に微妙に反応。個人的には「コントローラーは身体を使わないのが理想」 

Wii リモコン コントローラ 任天堂 宮本茂

→宮本茂氏、XboxのNatalについて「ゲームは手に握るコントローラーが必要」(Game*Spark)

「ゲームは手に握るコントローラーが必要」という言葉は、“コントローラーが存在しないゲーム環境”としてE3で発表されたマイクロソフトのモーションカメラ「Project Natal」に対する宮本氏の指摘。具体的には、以下の通り。

“あなたがWiiリモコンを持ってスイングすれば、野球のバットを振っているように感じるでしょう。もしプレイヤーが手に何も持たずに全てパントマイムするだけなら、リアリズムは損なわれるかもしれません。”

しかし私は、表題の通り「コントローラーは身体を使わないのが理想」と考えている。ウルトラ僭越&スーパー恐縮ながら、宮本氏の上記コメントに対するさらなる指摘である。

正直言って、初めてWiiリモコンやヌンチャクコントローラを見たときは我が目と宮本氏を疑った。私の中では、現実世界の運動能力を行使せずとも仮想空間で行動を行えるという点が、コンピュータゲームがコンピュータゲームたるゆえんであり、ほかの娯楽に対する優位性だと感じていたからだ。

ではなぜ現実世界の運動能力を行使しないことがコンピュータゲームの優位性なのかといえば、それは「間口を広くとれる」という点に尽きる。

元々運動能力の低い人、身体に障害のある人、運動するスペースを確保できない人など、あらゆる条件の人がいるなか、指先ひとつでコンピュータが作り出す仮想空間の中をのびのびと運動できる、それがコンピュータゲームの素晴らしさだと考えている。つまり“手(指)”という最小限の間口の広い入力インタフェースを用意することで、あらゆる条件下の人間を――少なくとも運動能力に関して――同一条件に並べられることが最大の優位性だと感じているわけだ。そしてそれは、ゲームが、同様に行為そのもののハードルが低い本や映画に比肩する娯楽として、現在の社会的地位を確立できた理由だとも思っている。

そういう意味で、当初からWiiの設計はまったく納得がいかないものだったし、今回の「~~リアリズムは損なわれるかもしれません」という発言に対しても、「あなたの考えるゲームにとってのリアリズムとは?」という疑問を禁じえない。

ただ、運動能力を行使するゲームを作ることに関して一つだけ肯定する見方があるとすれば、それは「これまでのゲームとは明確に分化した娯楽が作られている」ということ。つまり、かつて小説が映画に、マンガがアニメになったように、私の考えるような古典的コンピュータゲームの特性をトレードオフとして失いつつも、まったく別の体験を得られるメディアを目指してWiiなどは設計されている、そして今後、ゲームとは無関係の進化を続ける、と。こう書いてみれば当たり前のことだけど、その設計思想や将来の展望をキチンと把握している人がさてどれくらいいるだろうか? 現実に、古典的な私観のゲームで遊ぶプレイヤーとWiiプレイヤーは微妙にセグメントが異なっているわけだし、その辺りはキチンと整理しておく必要があると思うよマジで。

誰かまとめて聞いてきてくれんかな。宮本さんに。

#眠いので推敲なし。おやすみ。
2009-06-14 

ネットとバカの話 

については梅田望夫さんの「残念」発言以来、散々っぱら語られてるけど、

→日本のwebがレベルが低い理由
  (はてなポイント3万を使い切るまで死なない日記)


が一番しっくりくるかなぁ。要するに、本当にネットが浸透したとしたら世の中はバカの方が多いんだからネットはバカばっかりになるに決まってるじゃん、という論法。

そもそもWeb2.0という発想自体が、情報の洪水の中で命綱として掴まりやすい言い古された真理や定説や一般論をバカに与えることでバカの元々ない思考力を奪ってバカをバカの位置のまま固定するためのシステムであることはもう明らか過ぎるほど明らかなわけで。

非バカのブログに粘着するバカの様子がそれを端的に物語ってるよね。非バカの投入する(たまにバカも投入するけど)数の論理では勝ち目のない議論(だってそれは非言い古された真理だったり非定説だったり非一般論だったりするから)にバカが言い古された真理や定説や一般論を武器に群がってアクセス向上に貢献する、と。でも炎上しようと悪質な粘着君が発生しようと、非バカの人は意識的にか無意識的にかはさておき、そんなこと折り込み済みで想定内。非バカは参加者も傍観者も、基本的にはこの立派に成長したバカの海を利用して利益(お金や名前やあれやこれや)をあげようと考えてるんだから、見る人が見れば「残念」どころか「大成功」なんじゃないのかな。

誰でも家畜は小屋に入れるでしょ? ネットは世界のあらゆる小屋をつないで大小屋にしたっていう側面があって、それは大小屋だけに大きいからよーく見える。んでその大小屋の外(外の方が狭いんだけど)にいる人が「うーん、見渡す限りバカばっかりだな」つってあちこちで話しているという。

――という話をバカの私が書くとは、なんと美しい構図でありましょうか。

どきどきしますね。ネットって。
2009-06-10 

いまさらながらCFWいけます。愛しのPSP-1000 

PSP2TVはあまりにも画質が悪い! ということでCFW&リモートジョイでも使ってやろうと旧FWのPSP-1000を物色しながら某K氏とチャットしていたら「あん? TA-85なんてとっくにハックされてんじゃね? バカなの? 死ぬの?」という貴重なご意見をいただいた。

そうのなのか、ということでしこしことインターネッティンしていたら、なんだ、TA-85も新FWもとっくにハックされてんのな。しかもパンドラバッテリーもマジックメモリスティックもいらないとは……。今度からそういうことは早く言ってくれな、みんな。

PSP-1000 CFW 5.03
▲そんなわけで夜中にこそこそと起き出してCFW導入。FW5.03にしてRecovery Flasher導入してChickHEN導入して最後にFlash書き換えるだけなんて……、楽勝過ぎる。しかしUSBケーブルで映像を出力するとは、一体どうなってんだか皆目見当がつかん

機械的にも改造を重ねてきた我がPSPは、生命維持装置で延命する末期患者のようにあらゆるコードが接続されているため痛々しい。……だが、それだけにすさまじい愛着感がある。今回のCFW導入によって完全に電脳&擬体化が終了したので、あとは遊び倒すだけだわーい。つってもカルネージしかやんねぇけど。

あと、とっくに言い尽くされているだろうけど「PSP go」についても書いておこう。

結論から言うと、新商品の投入は大人の事情だろうからどうでもよくて、「液晶のサイズ縮小」というただ一点だけで承服・購入しかねる。縮小の根拠が分からない。そもそも現行モデルの液晶サイズすらどのようにはじき出されたのかは不明だが、go開発時よりもPSP-1000開発時の方により多く議論の時間が割かれたのは想像に難くない。当時は当時で最高のゲームエクスペリエンスをユーザーに届けるために、限界まで検討が重ねられたはずだ。

にもかかわらず変更するに至ったからには、それなりの説明が必要だろう。だいたい、縮小しただけで生産ライン変更の必要があるだろうし(←ここに金の臭いがぷんぷんしゅるわけだが)、サードパーティもデバック項目を増やさねばならんだろう。トレードオフとして手に入るのが、全体のサイズ縮小とスライド式採用とだけだというのがどうも腑に落ちない。現行のPSPでもゲームタイトルのダウンロード販売には対応できるだろうから、UMDスロット廃止なんてのもただのハッタリでしかない。ケレン味たっぷりに発表しやがって。バカバカしい。

それでも買っちゃう人達がいるんだろうから、人類500万年の進化など冗談としか思えない。

そして、こんなことを言っている私ですら購入する可能性があるので、デジタルガジェットというものには注意が必要だ。

##触ってみたいな☆
2009-06-05 

これもデザインの力なのかぁ!? うあーはっはっは! とテツオ風にWiiとクラシックコントローラPROの話 

私は基本的に心から任天堂を憎んでおり、毎晩「花札だけ作り続けてろこの猪鹿蝶!」とありったけの邪気を京都方面に放出しながらフリチンで眠りについているほどのアンチWiiなのだが、この写真を見た瞬間、任天堂教に改宗しそうな気持ちになった。

任天堂 Wii KURO クラシックコントローラPRO
▲「Wii」(クロ)と「クラシックコントローラPRO」(クロ)

任天堂君、これだよこれ(勝手に写真使っちゃうけど許してね☆)。なんという艶かしいフォルムと質感か。

そもそも私がWiiを嫌う理由は、幼稚な(ように見える)ゲームタイトル群、ヌンチャクコントローラを扱うという滑稽さ、そして実はハードのデザインにあるのだ。

なにを隠そう、私は今年でカケフの背番号+1歳を迎えるれっきとしたオヤジである。そんな私がおちちの香り漂うクリーミィなガジェットなど持てようはずもない。たとえWiiで世界一面白いゲームが発売されようと、それは変わらない。そう、私は頭の固い加齢臭漂う霊験あらたかな純然たるオヤジなのである。なになに?「おまえはゲームを愛していない」だと? うるせえ!

考えてみてほしい。

たとえば、巌流島の戦いで武蔵が小次郎を破った武器がラメ入りのハリセンだったとしたら、おそらく井上雄彦はリメイクしなかっただろう。たとえば、高倉健の靴が常にアンパンマンシューズだったら、おそらくゴルゴ13のモデルには選ばれなかっただろう。ん、分かりにくいな。よし、じゃあ、あなたの部屋のテレビがそびえ立つチ○コの形をしていたら「ニューシネマパラダイス」を見ても泣けないだろう! なんでそんなテレビ買ったんだボケナス!

……と、全体的に分かりにくいが、つまりはそういうことである。要するに現行のWiiはなにもかも純然たるオヤジという私のパーソナリティと相性が悪すぎたのだ。

しかしそんな思いも、ハードの色を黒にしただけでふっ飛ぶとは。この写真の撮り方にしても、そういった「秘技! ターゲット微妙ずらし!」的な思惑をひしひしと感じる。もっというと、私のようなプチ・ダンディ・ハードボイルダーが狙い撃ちされているとすら感じる。悔しいが、それに抗えないパワーがこのデザインにはある(って、色が変わっただけなんだがな)。

こうなってくると、ここ最近「ハァ? おれWii嫌いだからMH3なんかやんねぇしwwwwwww」と周りに吹いて周っていたことが悔やまれる。まぁ正直MH3は冗談抜きで――今のところ――魅力ゼロなのだが、黒のWiiは魅力的。欲しいタイトルが1本でも出たら買おう。そこが大きな問題なんだがなー。

ちなみに現在はしこしこと「カルネージハート・ポータブル」をプレイ中。来週の大会にエントリーするんだぜ!? わくわく。
2009-06-03 

ネットって紋切り型の意見に落ち着くよねという話 

チラチラと覗いているはてぶにこんな日記があった。コメントがたくさんついている。

→ラーメンが松本人志(はてな匿名ダイアリー)


:以下、引用

で、出てきたラーメンのスープをひと口すすり、麺を吸い、そこでなにやら思索にふけってしまった。

いや、美味いんだ。普通に美味い。味としてはいわゆる“家系”と呼ばれるそれに分類されるのだろう。トンコツに、お魚のだしも入ってるのかな。しつこすぎず、あっさりしながらコクもあるし、チャーシューなんてとろとろだし、スープがしっかりからんだほうれん草も美味い。麺もしっかり太くてぼく好み。

でも、「うまっ!」ではない。夢中になるほどではない。「ふむふむこれは“家系”だね」「トンコツにお魚のだしも入っているのだね」なんて、いろいろ考えながら麺をすする。

思索にふけったのはそのあたりから。

これは、お笑いに似ているぞ、と思ったんだ。ラーメンとはつまり、松本人志であると。

ラーメンなんて、別に美味いんだ。お笑いなんて別に面白いのと一緒で。ぼけーっと食って、ふひーっと爪楊枝などつかって、ぷかーっとタバコでも吸って仕事に戻ればいい。なのに、ぼくはいつしかラーメンを分析している。プロの調理人の作品に対して、批評をぶっている。




当該日記に寄せられたほとんどのコメントが肯定的だが、よし分かった。

じゃあ書き直してみようか。


:以下、変更
:
で、出てきたラーメンのスープをひと口すすり、麺を吸い、そこでなにやら思索にふけってしまった。

いや、美味いんだ。細かい味は分からないけど、とにかくおいしい。

いや、これは「うまっ!」どころではない。夢中になる。そして頭を真っ白にして麺をすする。

思索にふけったのはそのあたりから。

これは、お笑いに似ているぞ、と思ったんだ。ラーメンとはつまり、松本人志であると。

なんでこのラーメンは美味しいのだろう? お笑いもそうだ。なぜその笑いが面白いかが分かれば、自分はもっと面白いものを見つけ出すことができるのに。なのに、ぼくはいつしかラーメンを分析もせず、まずいラーメンをうまいとして一生食べ続けるような危険をおかして、ただのうのうと食べていた。この世にはいろんなプロの調理人がいるが、彼らの作った味がなぜ美味しいのか、どこが美味しいかなんて考えたこともなかった。



このように考えることとまったく同じだということがなんで分からないんだろう? この記事に寄せられたコメント群もそうだ。梅田望夫さんがこんな風に書いちゃった気持ちが痛いほど分かる。みんなでぞろぞろと同じ方向に歩いて、いったいどこへ行くんだろう?

[追記]
おおっと書き忘れた。あなたが適当に選んだラーメン屋ですら「まずい」と感じさせないクオリティを維持できているのは、誰かの味の分析・批評による理論体系化のおかげということに思いを馳せたほうがいい。
2009-06-01 

「精霊の守り人」のアニメは駄作 

「神山監督の作品でよく出来ている」という微妙な文句で人に薦められて観たのだが、鑑賞に堪えなかった。アジアンテイストの、ただ「独特」と言えるだけの世界観、独り言ですべてを説明してシラケさせるうえ、不可解な行動ばかりでイライラさせるキャラクター達、まったく展開しない間延びしたストーリー。原作はどうかしらないが、アニメ版は完全な駄作と言える。面白くない。ビジュアルは美しいからお金はかかっているんだろうけど、それだからこそかえって物語としてのディテールの低さが浮き彫りになっている。繰り返すが、面白くない。

精霊の守り人 バルサ DVD
▲主人公バルサのビジュアルや声優さんだけは気に入ったのだが……

1話を観た時点で嫌な予感がして、それでも4話まで我慢して観たのだが、期待は裏切られ続けてあえなく断念。それだけならまぁ良いのだが、Amazonなどでそこそこ高い評価を得ているからびっくりしてイスから転げ落ちつつ、こうやって日記を書いている。

→精霊の守り人 1〈通常版〉 [DVD](Amazon.co.jp)

面白いのは、上記ページの9件あるカスタマーレビューで、唯一星1つをつけているレビューの意見が最もまともであるにも関わらず、「このレビューが参考になった」の投票率が最も低いこと。そして、あらゆる海外動画サイトで翻訳されて観られているということだろうか。ああ、哀れみを感じる。「関係者全員に幸あれ!」という思いが込み上げてくる。

断言するが、この程度のアニメをありがたがる視聴者はまともなアニメ(というかエンターテインメント作品全般)に出会っていない、または素養がないなどの理由で、評価の基準を自身で確立できていない。好き嫌い以前に厳然と存在するレベルの低さを見抜けないのは、そうとしか考えられない。もちろん「だから評価するな」ということでは断じてなく、この世はそうやって評価する人が多い、というより、そのような評価が大半であるということを再認識しましょうねということだ。

で、先日書いた「日本のアニメってそんなにすごい?」にも通じることだが、やはり日本のアニメが一部の諸外国で重宝されるのは、アニメーション制作技術の高さへの驚嘆と、場合によってはアジアという未知の世界観が描かれるものに対する珍しさ、が大きく貢献しているという思いを強めた。

そしてなぜこんなことを書いているかというと、私はただ面白い作品が観たいだけなのである。いくら有名監督の作品でも、いくらお金がかかっていようと、いくら作画が美しかろうと、面白くないものは面白くないと評価できないと、面白いものが生まれなくなる土壌ができあがってしまいますよ、と強く言いたい。

などと、無駄と知りつつも「不正をやめろ!」と政治家に叫び続ける一般有権者のような心持ちで書いてみました。あーすっとした。この無価値な日記が広大なネットのちっぽけなチリゴミとして浮遊し続け、制作者の目にとまればこれ幸い。掃き溜めっぽい使い方で恐縮だけど、ブログって便利ですな。

注)原作は知りません(いずれ読みます)ので、アニメ版についてのみ語ってます。そして一応私のパーソナリティを表す情報として「アニメ攻殻機動隊の大ファンです」とメモ。

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京都府生まれの執筆業者(3234歳/男/東京都世田谷区在住一時的に京都府在住)。ライティングやらWebのお仕事やらをしています。

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